『 天 空 窯 』
一身一代の焼きもの屋
「幸せを運ぶ焼きもの屋」
土は大阪の枚方(長尾)の原土100%
使用窯はひとりで焼けるコンパクト設計
単室の倒炎式登り窯
焼き上げ温度は1200度から1300度
窯の中がまっ白としか言いようのない光になった時
土が焼き物になります
この瞬間土はあちらの世界に行き
焼き物となって戻りこの世に生を受けたのだと信じています
ふと気がつくとそっとかたわらにいるようなひとつの命が生まれるよう祈りを仕事としています
略歴
1959 岡山県真庭市に生まれる
3歳になる前に父が急死した
以後 母と祖母に育てて貰った
1978 岡山県立倉敷青陵高校卒業
1978 筑波大学第2学群人間学類入学
高校の時 さて何をやろうかと考えた時
猶予期間があった方がと思い
訳の分からない筑波の人間学類と広島の総合学部だったかが見つかった
岡山から遠い方が良かったので筑波を受けた
本番には強いので何とか合格
1980 休学(8ヶ月間パリにて遊ぶ)
パスカルのパンセを読んで この人が過ごした所で過ごしてみたいと思ったから行くことにした
さっぱり分からないフランス語の所で 何ができ 何ができないか確かめたいというのもあった
1983 同大学卒業(教育学主専攻)
最初は心身障害学主専攻だったが 転んで教育学になった
朴聖雨先生との出会いが大きかったと思う
教育学の専門書はまともには1冊も読まず 無謀な卒論案を出しては ダメだしをされた
朴先生の包容力のお陰で 何とか卒論は形になった
1983 特別養護老人ホームさつき荘勤務
竹内演劇研究所のレッスンを受けるために便利のいい西荻窪に部屋を借りた
芝居者になろうというのではなく 出会いのレッスンが受けたかったから
レッスンの中で野口整体を知り 野口先生の著書で遠隔施術ができることを知った
自活しないといけないので 電話帳の特別養護老人ホームに順に電話した
祖母から 民生委員をしていた時のこととか聞いて育ったので 大学の時も特別養護老人ホームにボランティアで行ったりしていた
出版関係とかトライしたが なかなかという感じで 老人ならと思い連絡をとった
たまたまヒットしたのが さつき荘だった
1986 京都府立陶工訓練校 整形科入校
大学の時からパリで知り合った女性と付き合っていて 京都に住んでいた彼女の所に転がり込み 結婚した
職安で 陶工訓練校のポスターをみて ここに行けばプロになれるかもと思い 妻に行っていいかと聞くと いいと言う
たまたまあったコネを使って入校できた
小学校の遠足で見た備前焼が頭から離れず いつかはやってみたいと思っていたのが実現に向けて動き出した
1987 越前宏山窯(伊豆天城宏山窯)にて修行
陶工訓練校を出て 備前で修行して越前で窯を構えた方の所に弟子見習いとしてお世話になったが 半年程で精神状態がおかしくなってきた
もう越前を去ろうと思い どんな焼き物屋がいるか行ってみようと訪ねた最初が宏山窯
後から聞いた話では 酷い状態だから放っておけない感じだったとの事 うちの手伝いをしてくれないかと言われ お世話になることにした
お陰で 焼き物屋としての命が繋がった
1990 兵庫県篠山市今田町下立杭に移る
宏山窯は伊豆に移るという
そこまでは着いていけないので 休みの前の日に車で兵庫県まで走り 貸して貰える空き家を探した
なかなか貸してもらえる所は見つからず そういう時 母の幼なじみの方のお力で 立杭にコネが繋がり借りられることになった
借りた家の近所は良い方ばかりだった
1991 天空窯 と命名
窯を借りて焼いていたが しばらくは窯の名前は無いままだった
目の前の山の中腹に虚空蔵菩薩が祀ってあり 山は虚空蔵山と言った
そこから空をいただき 天空窯という名前を付けていただいた
初窯を焼いて店に並べて 俺の作ったものが売れるのだろうか?と思っていた時 外国の女性が手に取ってすぐに これくださいと言ってくれた 3000円の鉢だった 今も忘れない
1995 共同で倒炎式登り窯築窯(食器専用窯)
立杭でやり始めて すぐ位の頃に
丹久窯のご主人から 窯焼きを手伝ってもらえないかという話をいただいた
窯を借りて初窯は焼いていたが 越前では穴窯やオルセンという倒炎式の窯は焼いていたが 立杭のタイプの窯は焼いたことがなく まして温度計無しで焼くという経験は無かったので 渡りに船だった
丹久さんの窯 隣の此衛門さんの窯 うちの窯で年間15回位の窯を焼くことになり 窯焼きを覚えることができた
目で窯の中の色をみて焼けてるかどうか判断するので 回数を重ねて経験を積むしかないのだ お陰さまさまだった
丹久さんの跡取りさんが サラリーマンを辞めて窯の跡を継ぐために戻ってきた
彼から一緒に食器用の窯を作らないかという話をいただいた
俺が設計して作ったが 焼くのが割と手強い窯だった
でも 薪も体力も使うが じっくり焼くといいものが焼けるのだ
催しに合わせ年間10回位は焼くようになった
この窯でいろいろなことを学ばせて貰った
焼くことだけでなく いろいろなこと
2009 岡山県吉備中央町円城に仕事場を移す
一人暮らしの母も歳をとって来たので 少しでも近い所にということで岡山に仕事場を探した
住家は倉敷の友人が貸してくれたので 実家との真ん中辺り ピッタリの場所が見つかった
ここも 近所の人はいい人ばかりだった
2011 岡山県真庭市に倒炎式登り窯築窯
作るのは岡山の円城の仕事場に移ったが 焼くのは立杭の窯しか無かったので 一窯分出来たら運んで焼いていた
いつまでもそんなことは出来ないので 実家に窯を作った
窯小屋はこちらが材料を提供して従兄弟が建ててくれた
そういう関係の仕事だったとの事だが 大工という訳でもないのに きっちりしたものを作ってくれ 大雪が降ってもビクともせず窯を守ってくれている
2016 ほぐしや天空として
からだの改善のお手伝いの仕事も始める
以後 てんくうのほぐしごと(てんほぐ)として
天空窯 と ほぐしや天空 の二つの柱で活動
竹内演劇研究所の時に知った遠隔施術が 今は主戦力になっている
40年もかかってまだまだだが 役に立てることは着実に増えている
2023年になって やっと念願の小波津式筋無痛療法が少し使えるようになってきている
還暦は遠に過ぎたが まだまだやることやりたいことは多い
掲載誌
「わたし好みのデザイン 和もの100選」
裏地桂子
季刊「銀花」第150号
「手の国にっぽん」 文化出版社
家庭画報特選「和の器」 世界文化社
「The Story of Tea」
A Cultural History and Drinking Guide
Mary Lou Heiss and Robert J.Heiss(著)
Ten Speed Press
「関西のクラフト&デザイン」
京阪神エルマガジン社
「日本茶の基本」 エイ出版社
「なごみ」2011年3月号 淡交社
「ミセス」2011年6月号 文化出版局
「クロワッサンPremium」2012年1月号
マガジンハウス
「ミス」2012年1月号 世界文化社
「手仕事の贈りもの」2014 片柳草生